タイム設定ワークショップで寄せられた、東北へ寄せる想いや選んだ秒数に込めたメッセージの一部をご紹介します。
※ 原文が長文の場合など、一部を抜粋・編集して掲載する場合があります。
※ 原文の表現を尊重していますが、誤字などの場合は修正しています。
男性
60秒
アートという形で、震災と向き合いたかった。
女性
103.1秒
私の生まれ育った陸前高田市は震災で甚大な被害を受けました。大切な人や家や街を失ってもなお、一生懸命に生きてきた(生きている)人たちもたくさん見てきました。時の海の作品を実際に見た時、犠牲になった方々の命が巡り巡って永久に残り続けること、また、被害を受けながらも懸命に生きている方々や、東北に思いをよせる方々の想いが伝わってきて、心が動かされたのを覚えています。
女性
11秒
震災前も震災後もずっと海が好きです。たぶん多くの人がそうだと思います。作品が完成したらきっと感動で泣いてしまうだろうなと思います。
女性
69秒
震災から10年以上経過しその時の想いは日常の中に消えてしまいがちなことに気づき、このプロジェクトに参加しました。忘れがちではあるけれど消し去れない思い。それが「起こらなかった前」「知らなかった前」に戻りたいと切望しても戻ることはできない時。3・11はその年の70日目。69日目に戻りたいと、その日の自分になんと言いたいのかをこれからも問い続けたいという気持ちでこの数字を選びました。
男性
73.1秒
なみえの7(な)3(み)1(い)。浪江町出身・在住。実際にこの周辺の遺体捜索やガレキ撤去に従事し、被災から現在の復興を見てきました。震災の伝承と芸術がどう関わり、表現されるのか気になり参加しました。
男性
16秒
「時」や「永遠」と聞いたとき真っ先に出てきた数字です。 正直に言うと、3.11に遭い、大きく無力感を覚えると同時に「これで世の中は大きく変わる」と期待もしてしまっておりました。しかし、実際の世の中は、後のコロナ禍を経てなお、人心はより一層荒れ、人々はあさましく振る舞うようになったと感じてしまっております。それでもなお、久遠の人間性とその発現を信じたく、この数字に致しました。
男性
25秒
カウントスピードは「25」被災した故郷で過ごした25年間の意味を込めました。石巻市の雄勝地区にはもう故郷の姿はありませんが、海の匂いはあの頃のままです。目を瞑りながらゆっくり25年を振り返りたいと思います。
男性
56秒
東日本大震災によって生活が変わりました。それは、決してネガティブなものだけでなく、ポジティブなものもあります。この作品が変わりゆく被災地のポジティブな側面を記録し続けて欲しいです。
男性
1.5秒
ひとり娘の誕生日に因んで選びました。生まれたという知らせを聞いた時、「自分の人生が未来に向けて伸びた」という確かな感覚があったことを思い出したためです。
男性
82.7秒
大切な親友の命日。大学時代に、ふがいない自分を怒りしかってくれた唯一の友人でした。彼の人生の続きを共に歩めたらと思いました。
女性
114秒
東北から遠く離れた東京でも大きな爪跡を残した震災。今でも恐怖でいっぱいです。この数字は生まれてきた子どもの誕生日です。この子がどうか悲しい思いをしないですみますように願いをこめて。
女性
12秒
私は小学6年生の時に3.11で被災し、原発事故の影響で埼玉県に引っ越しました。私は今24歳なので、福島と埼玉で過ごした年数が今年で丁度半々になりました。なので12秒です。私にとってのふるさとは福島なのに、これからはふるさとではない場所で過ごす時が人生の半分以上を占めていくのかなあと考えると、なんとも言えぬ切なさと、見えない誰かに「前を向け」と言われているような気持ちになります。
女性
58秒
震災をきっかけに東京から釜石に戻り、第2の人生が始まった日 。2012年5月8日=58。実家も無くなり、仕事も探さなければならない。不安ばかりでした。田舎がいやで都会に暮らしていた私が見た、こわれていく釜石の光景は、胸がはりさけそうでした。「戻ってくるよ」と言った時にすごくうれしそうに笑った母の姿に決断しました。