3,000 Lights, Each at Its Own Pace
東日本大震災をきっかけに現代美術家の宮島達男が、震災の犠牲者の鎮魂と震災の記憶の継承、そして、これからの未来を共につくることを願い、東北に想いを寄せる人々と協働する「時の海 - 東北」プロジェクト。
生命の永遠性を象徴する数字のLEDカウンターガジェットを、3,000名の参加者一人ひとりが想いを込めてタイムを設定し、その「時間」と「想い」が集積することで作品《Sea of Time - TOHOKU》は形づくられます。
そして現在、その作品を福島県富岡町に恒久設置するために「時の海 東北 美術館」の建設を目指し、地域コミュニティの方々と協働しながら活動を続けています。
2026年8月、「時の海 - 東北」プロジェクトでは大学生のインターンシップを実施。そのなかで、東北芸術工科大学で漆工芸を学んでいる渡部めぐさんから宮島へのインタビューが行われました。本記事は、そのインタビューをまとめたものです。
インタビューでは、「時の海 - 東北」プロジェクトにインターンシップとして関わるなかで浮かんだ問いを4つの視点から宮島に尋ねています。
文=渡部めぐ
編集=嘉原妙(「時の海 - 東北」プロジェクトディレクター)
渡部めぐ
2001年生まれ、福島県郡山市出身。現在は東北芸術工科大学芸術学部工芸デザイン学科で、漆を用いてジュエリーを制作している。
3.11と原発事故後、長期休みには国内外の保養プログラムに参加し、現地の方々との交流をしていた。それがきっかけで、高校在学中にドイツバイエルン州へ交換留学、高校卒業後にはベルリンでワーキングホリデーを経験し、帰国後は東北芸術工科大学で学んでいる。

なぜ、インターンに来たのか
このインターンに参加しようと思ったきっかけは、単純だった。テーマが3.11だったから。けれど、いざ参加を決めてから、自分にとって3.11とは何だったのか、問い直すこととなった。
それは、それまで信じていたこと、当たり前だと思っていたこと、「常」というものを、根こそぎ喪失した瞬間だった。同時に、それは世界を見るきっかけにもなった。震災の後、私は留学やワーキングホリデーへと足を踏み出していった。しばらくの間は、何を信じればいいのか分からない、宙ぶらりんな感覚があった。けれど時間が経つにつれて、信じるものは自分の外側ではなく、自分の内側にあるのだと、感覚的に分かっていった。
保養プログラムでの国際交流に何度か参加し、震災の体験を現地の方々の前で話す機会が何度もあった。正直、話したくないと思ったこともある。同情されたくない、可哀想だと思われたくない、という思いがあったからだ。震災という出来事だけを切り取れば、負の側面が大きい。けれど、それを自分の人生というスケールに置き直したとき、それは大きな転換点だった。それに、話すたびに「本当に自分の言葉で話しているのか、それとも目の前の相手が欲しがっている言葉を並べているだけなのか」分からなくなるという葛藤もあった。それは、正直に言えば今もある。
それでも、話すことをやめなかったのは、可哀想だと思われるだろうという私の想像とは裏腹に、「勇気をもらった」と感じてくれる人がとても多かったからだ。それも一度や二度ではなく、かなりの頻度で。その反応の積み重ねが、当初の負の想像を少しずつ上書きしてくれた。震災体験は、ネガティブなものというカテゴリーを超えて、私の人生の一部として、ニュートラルに捉えられるようになっていった。
この体験を携えて、私は宮島達男さんに会いに行った。
Photo: ©Suzuki Jouji
「委ねる」根底にあるもの
質問1:宮島さんにとって、作家性を第三者に「委ねる」ことに、迷いや葛藤はありましたか。また、宮島さんにとってそれはどんな意味がありますか。
宮島:産業革命以降、人間は人間が制御できる世界に生きているのだと思い込んでいました。しかし、3.11は現代人の人智を遥かに超えたエネルギーでその前提を崩した。自然の摂理も他者も、すべてコントロールできないものとしてそこにある。つまり、「Uncontrolled」ですよね。それが、実は普通の状態。制御できないものを排除するのではなく、それを含んだ状態で共に歩むということを3.11以降、強く意識するようになりました。
《Sea of Time - TOHOKU》のためのワークショップの様子|Photo: Yuki Iwanami
もともと作家性の薄いアーティストではあったそうで、あくまでも作品が主役であること、作品と鑑賞者の関係をつくり出すことに重きを置いて活動を続けられている。そして、その姿勢をより強く押し進めたきっかけが3.11だと言う。
「委ねる」とは、宮島さんにとって単なる制作手段ではない。「時の海 - 東北」プロジェクトでは、他者をタイムセッティングを行うコラボレーション・アーティストとして、「Uncontrolled」なものとして丸ごと受け入れ、協働するという、つくりかたそのものの根本的な転換だった。
参加者は、数字の速さを自分で選ぶことで「鑑賞者」から「つくり手」へと変わる。この瞬間、鑑賞者と作家という境界が溶ける。その溶解が、参加者にとっての「自分ごと化」を生み、それがイマジネーションを生む。そして一人ひとりのコラボレーション・アーティストの思いが幾重にも重なることで、作品そのものの強度が上がっていく。
私自身、作品を制作する上で、漆という自然物の素材との対話の重要性を感じている。それが、宮島さんが現代アートで体現する人と人との対話と通ずるものがあると感じた。思い通りにしようとするほど、素材は応えてくれない。けれど、こちらの想像を超えて何かが返ってくることがある。その"超えてくるもの"に呼応しようとする姿勢ーそれこそが、3,000人という他者と向き合う制作の根っこにある態度なのだと感じた。
思いを湛える海が表すもの
質問2:それぞれのデジタルカウンターに込められた、一人ひとりのコラボレーションアーティストの思い/想いを配置した際の意図を教えてください。
宮島:3,000という数字は、仏教用語で「全世界」を意味します。全世界の人に見てもらいたいという願いが、この数字そのものに刻み込まれています。カウンターの配置は、波や潮流をイメージして、2年という時間をかけてデザインしました。東北の太平洋が持つ「優しさ」を表現するために時間をかけました。荒々しさも優しさも併せ持つ太平洋の海を表現しています。
《Sea of Time - TOHOKU》の作品には、2種類の大きさのLEDカウンターガジェットが用いられている。小さいサイズのLEDカウンターガジェットは、海をイメージした青を基調とした色で7色に変化する。さらに、カウントアップとカウントダウンするデジタルカウンターが併存する構造も見逃せない。9へ向かう数字と、0へ向かう数字。その両者が同じ水盤の上で静かに共存することで、作品全体の「温度感」が調整されているという。時間を一方向に進むものとしてではなく、それぞれ異なるリズムが響き合うものとして感じさせるための設計である。
《Sea of Time - TOHOKU》コンセプトドローイング|宮島達男
作品に使用するLEDカウンターガジェット
「ゼロ」と、宮島さんの当事者性
質問3:9から1、1から9へとカウントするデジタルカウンターの数字は、「ゼロ」で消灯し、再び9または1の数字に点灯し、繰り返し繰り返し瞬き続けます。それはまるで輪廻転生のようにも見えます。宮島さんの作品において、「ゼロ」は亡くなっている時間を表していると伺いました。それは震災の文脈ではどのような解釈をされていますか?
宮島:ゼロは死を象徴しています。生と死は対をなすもので、そこには途切れることのない永遠性があります。ただし、それは目には見えませんよね。その見えないものを腑に落とすのが、人間のイマジネーションであり、アートは、そのきっかけをつくる装置だと考えています。
《Sea of Time - TOHOKU》部分展示|Photo: Nobutada Omote
東日本大震災で亡くなられた方々も、ただ「いなくなった」ということではない、と宮島さんは言う。
宮島:一度は見えなくなったとしても、私たちの記憶や想像力のなかで、その存在ともう一度向き合うことができる。そうした生と死、そして生命そのものについて考えるきっかけをつくることが、《Sea of Time - TOHOKU》という作品に込めた思いです。
なぜ3.11がテーマなのか。 その本音を、宮島さんは率直に語ってくれた。
当時、宮島さんは、東北芸術工科大学の副学長として、学生たちからの「何かサポートしたい」という声に押される形で、被災地でのボランティアとして、この出来事に「関わってしまった」のだと言う。そしてそれは、アーティストとして、また一人の人間として、「あの時、何もできなかった」という無力感を強く覚える経験となった。だからこの作品は、あの時、何もできなかった自分自身への「落とし前」でもあるのだと、宮島さんは語る。
対話の先にあるもの
質問4:作品と鑑賞者、鑑賞者同士で対話が生まれた後の、宮島さんの願いやビジョンがあれば教えてください。
宮島:作品と鑑賞者や鑑賞者同士の間で生まれる対話は、「答え」を見つけるものではありません。その目的は、それぞれのイマジネーションの交換、つまり「対話」そのものです。
そして、その「対話」から生まれたものを新しい創造へとつなげていくことこそ、「未来を創造する人たち」の責務です。
この言葉は、取材を終えた後も、私自身の中で発酵し続けている。
インターネットやAIが目まぐるしく進化し、問いを立てればすぐに答えが返ってくることに慣れてしまった現代だからこそ、この言葉には抵抗すら感じる。まして「未来を創造する人たちの責務」の言葉には、私は最初、突き放されたような感覚を覚えた。けれど、こうして言葉にしながら考えを重ねるうちに、少しずつその感覚はほどけていった。
答えのない問いに留まり続け、向き合い続けられることこそが、人間らしさなのかもしれない。そう思うと、この言葉は、私に「人間らしさとは何か」という問いを、あらためて手渡してくれたのだと思う。
ここからは、宮島さんの言葉を受け取った私自身の思考として、書いてみたい。
イマジネーションはなぜ必要なのか
イマジネーションとは何か。
私はこう捉えている。相手の話を聞いたり読んだりして、心の中で再現することである。そして、自分だったらどうか、自分に似た体験があるかなどの視点をもとに、イマジネーションの枠組みを広げ、相手の痛みや喜びを追体験し、独立した存在としての共感につながる。
アートの場合、作品を見て、意味や背景を想像することで、疑問や違和感など、気づきや新たな視点を得る。それをわからないまま点として持ち続け、問い続ける。その点が、何かの拍子に他の点と繋がり、線ができてゆく。
アート鑑賞における「わからなさを保ち続ける」姿勢は、他者と向き合うときのイマジネーションー完全にはわからないままで心の中に再現するーにも通じる。わからないものを一つの正解に収束することはできない。だからこそ、イマジネーションは決して優劣で測れるものではないとも思う。それは誰かが決めることでもない。大切なのは、そのイマジネーションを、他者との関わりの中で常に修正し、変化させ続けることなのではないだろうか。
自然も、他者も、そして死も、思い通りにできるものではない。宮島さんの言う「Uncontrolled」なものと共に生きるということは、理解しきれないもの、割り切れないものを、理解しきれないまま、割り切れないまま、隣にあり続けるということだ。その「わからなさ」を無理やり埋めようとすれば、それは決めつけや同情という形で、相手を型にはめてしまう。かといって、わからないからと関わりを断ってしまえば、そこには何の対話も生まれない。その狭間を支えているのが、イマジネーションなのだと思う。
これは、私自身の経験とも重なる。震災体験を語るたびに、私は、可哀想だと思われるのではないかという、恐れという類の想像を抱いていた。けれど実際には、勇気をもらったと感じてくれる人のほうが、かなりの頻度で多かった。その反応の積み重ねが、当初の恐れの想像を少しずつ書き換えていった。想像はそれ自体で正しいか間違っているかが決まるのではなく、他者との関わりを重ねる中で、繰り返し描き直されていくものなのだと、この経験を通して実感している。
《Sea of Time - TOHOKU》という作品そのものが、まさにこのイマジネーションの装置である。一つひとつのカウンターが、それぞれ何の数字を、なぜその速さで示しているのか。設定された数字の背景を知ることで、無機質だったカウンターから人の温もりが伝わってくる。それと同時に、その背景だけでは埋まらない、その人の語られていない部分に対する想像が広がってゆく。
結び
取材の後、とみおかアーカイブ・ミュージアムを訪れる機会があった。展示を見ながら私の中で浮かんできたのは、「犠牲になられた方々の分まで」という言葉だった。それは、誰かの死を背負うことでも、同情することでもない。生かされているという感覚だった。
震災について思い出すことは、長い間、私にとって痛みを伴う行為だった。感情が揺さぶられることを恐れて、できるだけ情緒的な部分には触れないようにしてきた。これまで私は、震災について考える基準を、自分でも気付かぬまま「絶対的な自分」に置いていた。自分がどう感じたか、自分がどうするか、しないかーそれが全てになってしまっていた。
富岡で出会った言葉や作品に触れる中で、私は一人で生きているわけではないのだ、自分はもっと大きな、温かい海のような存在の中にいるのだと実感した。そして少しずつ癒やされていく中で、怯えや恐れがほどけていくような感覚を覚え、この震災を思い出すことから目を背けていたことに気づかされた。
3.11と原発事故は、紛れもなく私の原点である。あの日から始まったすべてが、今の私を形づくっている。背けていたものこそが、実は自分自身の根っこであったのだ。





